私は独身で子どももいないし友達もほぼ全くと言っていいほどいない。職場でも自分の趣味趣向の話はほとんどせず希薄な人間関係に苦痛を感じながら過ごしてきた。組織に所属するのに向かないタイプの人間であるため、10年以上働いても組織の理論というものが一切理解できず、「上の命令だから」と唯々諾々と従うことに喜びを感じている人間が本当に気持ち悪かった。まあ私のような人間が増えてしまうと社会が成り立たなくなってしまうだろうとは思う。しかし歳を重ね体の衰えを痛感してきた時点で改めて自分のこれからの人生というものについて真剣に考えてみた。このまま定年まで働き続けたとしてそのあとどんな人生が送れるのだろうか?確かにまじめに資産形成に励み定年まで働けば、金の心配をする必要がない老後生活が送れる可能性は高いだろう。だが金の心配がない老後生活を送ることに何の意味があるのだろうか?私の主な楽しみとして徒歩での移動をメインとした旅行があるが、最近では若い時に比べて圧倒的に疲労感を感じてしまう。3万歩も歩くと次の日には足が痛くなっている有様だ。果たして65歳を過ぎた独身高齢者が思う存分徒歩での移動をメインとした旅行を楽しめるだろうか?答えはNO。間違いなく私が老いた場合にはそんな体力は無いだろう。現代日本の一般的社会人は中長期の旅行を楽しむことができない構造になっている。働いている限り2週間単位の旅行に行くことはほぼ不可能なのだ。そして定年を迎えた後に2週間単位の旅行を楽しめる肉体が維持できているかというと無理であろうから、一生中長期の旅行が楽しめないことになる。しかし、今仕事を辞めてしまえば中長期の旅行を楽しむことは可能であろう。たしかに一度社会人から脱落したらもう復帰は難しいだろうが、果たしてこのまま社会人を続けて何の意味があるのだろうか?何もないのではないか?そう、何もないのだ。